29/04/2022
【20220331①】グンゼ博物苑・京都府綾部市
『グンゼ』と聞いて、肌着や下着で何方も一度くらいはお世話になった事があるのではないでしょうか。
特に当方が幼少期の頃(1990年代)くらいまでは今の様なファーストファッションブランドはまだ台頭していなくて、製造工場の海外移転は進んでいたもののまだ日本製の衣料品が流通していたと記憶しています。
でも、その肌着事業はグンゼグループさんの事業ののひとつでしかなかったのだと創業地を訪れ初めて知りました。
元々グンゼさんは絹糸の製糸業から始まった企業。
他では聞かない”グンゼ”という特徴的なネームは
・国是(こくぜ):国のあるべき姿
・県是(けんぜ):県のあるべき姿
・郡是(ぐんぜ):郡のあるべき姿
・村是(そんぜ):村のあるべき姿
から、創業者・波多野鶴吉翁が感銘を受け採用したのだそう。
にわかに信じがたい話ですが、当時の京都は西陣織を抱え他地区でも繭と生糸に対する需要が不変にあったため、その品質は全国の品評会で「粗の魁(そのさきがけ)」、要は最悪にひどい、極悪レベル!と評価されていたのだとか。
表現を恐れずに言えば、放っておいても売れるしとにかく作ればいいんでしょ的なあぐらを掻いたムードがあったそうです。
そんな最中で何鹿郡(いかるがぐん・現綾部市)出身の波多野鶴吉は
『このままではいけない。会社を興しこの何鹿”郡”の”是”として製糸産業の振興を図らなければならない』
と発起して起業したのが郡是製絲株式會社だったというわけです。
博物苑を見学しての感想は、何より創業者の波多野鶴吉翁はじめ郡是という会社が『人を想う』会社だったということでした。
ざっくり書くと、
・女性従業員を女工ではなく工女さんと呼び大切にした。
⇒『女工』は女性の働き手、『工女』は技術と教養を備えた女性という捉え方。
若くして入社してくれた女性たちに、会社の働き手であると同時に立派な女性に育ってほしいと教養施設を備え、夜間や休日の勉学や講座の場を充実させていた。
・”少しでも高く買うてやること”を是とし、養蚕家と直取引を行った。
⇒企業と養蚕家の間に介在し、利益を搾取して養蚕家を困窮させていた商社を嫌い、直取引を行った。
その代わり繭の評価・ランク付けを行い、品質の高い繭ほど高値で買い上げるルールとし、養蚕家にやり甲斐や向上心、競争意欲を持たせた。
そして先見の明で、上州や信州の製糸業が衰退した様に絹糸が国を挙げての産業として成り立たなくなる事を早期に察知し、並行して立ち上げた事業の一つがストッキングや下着、肌着といった衣料事業で、いつしかグンゼブランドのイメージを背負う主力製品となっていったのだそうです。
ただ、その衣料事業でさえ2000年代以降のファーストファッションの台頭や日本の市場自体の縮小傾向も相まって今やグンゼさんの事業範囲は医療現場で使われる抜糸不要の縫合糸やペットボトルのシュリンク(熱密着)フィルムなど多岐に及びます。
また他にも、他の地域に同じく糸紡ぎや機織りの傍に機械屋あり・・・ということで生産設備などの機械分野も手掛けられているそう。
また当方も事業主なので勉強になった事ですが、一時代を築いた事業者が他分野に進出する時、どうしても外から見て抱かれてしまうのが『ポリシーの拡散』だと思っています。
例えば和菓子屋さんがある日突然、パスタ屋と寿司屋を始めます!と聞いたらビックリしますよね、御社の本分は何なのか?と。
そこには従業員という名の家族を抱える、企業としてのグンゼさんの苦労を感じました。
ただ、製糸/紡績業で培った糸紡ぎの関連分野からの派生だったり、また市場のニーズの中からやはりこちらでも”人や社会のの役に立つものを”という分野へのこだわりは一貫して感じ取れたように思います。
絹糸から始まった会社が時代の変遷の中で苦労し、姿形を変えながらも今日現在も存在していること。これは本当に凄いことです。
トランスフォーム=変革を拒んだり乗り遅れていたらきっと今日グンゼさんはなかった事と思います。
きっとその道のりは栄光に満ちた華々しいだけのものでは無かった事が窺えました。
この一世紀近く前の出来事が今の私たちに関係ないと思うなかれ・・・で、
当時絹糸輸出好景気で外貨を獲得し、また企業の発展あって税金が国に納められ今日の日本の礎があります。
直近で記録的円安に晒されている日本ですが、企業が、個人が、これからどう在るべきか、多大なヒントがそこには隠されていると思いますよ。
#グンゼ博物苑
#あやべグンゼスクエア
#グンゼ株式会社
#郡是製絲株式會社
#京都府綾部市
#綾部市
#波多野鶴吉
#至誠
#クロスアップ
#前掛けトラベラー
#ザエプロンコレクティブ
#エプコレ
#エプロン屋
#じぶんでやるすべての人たちへ
#あなたのやる気応援団